■グリニッチ便り■          No.144, 2009年4月号
Japanese Gospel Church of Greenwich グリニッチ福音キリスト教会


イースターがゴスペルだということ
イースター・メッセージ             グリニッチ福音キリスト教会 牧師 立石尚志
もしあらゆる癌を食い止める治療方法が確立されたならそれは世界の癌患者にとってはこの上ない「福音」とならないであろうか。
もしエイズウィルスを根絶する治療薬が開発されたならそれはエイズに苦しむ人々の「福音」となるはずである。
もし日本で公に認められている130の難病のうち、一つでもその治療法が見つかったなら、その知らせ・・・「福音」は瞬く間に同じ難病を抱える人々とそのサポーターに届けられるに違いない。

● 福音を聞いた者たちは

「福音/GOSPEL(英)」はもともと聖書の言葉であり、キリスト教会の中で使われて来た言葉であるが、医療の世界でも、新薬や新治療方法を指してよく使われている。理由はその薬や治療法が絶望的な状況の中にある患者と家族に希望を与え、社会復帰への道を整え、何よりも「地上での時間」を約束するからである。新しい薬や治療方法の開発のためには製薬会社や大学病院等でたゆまぬ研究努力が日夜されているだけでなく、患者達は自分を含め、一人でも同じ病に苦しむ人々に福音を届けられるなら、と、喜んで新薬開発のために自らを犠牲にして実験台になって行く。

祖父は私が高校2年の時に胃ガンで亡くなったが、祖父の闘病期間中、大人たちがしきりに「丸山ワクチン」「丸山ワクチン」と口走っていた姿を思い出す。この薬でお爺ちゃんの癌が治るなら、という切実な思いで祖母も親も親戚も当時「癌の特効薬」と噂された癌治療の福音に関心を寄せていたのであろう。命の希望をつなげる薬は人をそこまで熱くさせるものがあったのだ。

● 福音を聞いた者たちは、さらに

福音、ゴスペル・・・グッド・ニュースはさらに、人を動かす。医学界における福音のみならず、戦場の兵士に届く「終戦」の福音、炭坑事故での「夫たちの生還」の福音、大学受験の「合格」の福音、地元チームの全国大会での「優勝」の福音、苦闘している会社の商品の「ヒットした」という福音、応援している議員の「当選」の福音、グッド・ニュースと冠するにふさわしいニュースは、人を飛び上がらせ、叫ばせ、抱きあわせ、歌わせ、喜びを共有せずにはいられなくさせる。そして福音を聞き、信じた者たちは、必ず隣人に話し出すのである。

キリスト教が紀元30年からこの2009年春まで続いて来た理由はまさにキリストのことを話し続ける人々が後を絶たないからなのである。その話す内容は「虚無と死の恐れからの解放」「絶望の闇から希望の光へ」「神に立ち返る喜び」「愛されていることの発見」「イエスとの出会い」「人生の目的・真理の発見」など表現は多様だが、内容はとにかく「福音」なのである。そしてキリスト教信仰の中核が福音、「伝えたい知らせ」であるがゆえにそれは音楽や文学、絵画、踊り等、あらゆる表現形式を取ってきたし、常に新しいものが生み出されていく。さらに真に福音を理解し、受け入れた者たちには一人ひとりに伝えたいストーリーが生まれ、必ずそのストーリーに共鳴する者が起こされ、その伝達のサイクルは文化と時間を越えて、繰り返されて行く。

● 信じなかった弟子たちが福音の使徒に変えられた過程

福音書と呼ばれるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ伝、そしてそれに続く使徒の言行録はこの「福音」の伝播のパターンで満ちている。イエスの宣教の前半、イエスの奇跡を体験した者たちは、喜びに躍り上がり、イエスのことを次々と人々に伝えて行った。その結果、イエスの評判はまたたく間に、当時のイスラエル全域に広がった。しかし働きが後半に入り、時の権力者達からの圧力が増して来ると、従う者たちは次々にふるいにかけられ、イエスが十字架にかけられ死刑になった時点では、従う者たちは女性達と弟子のヨハネ以外誰も残らなかった。そしてイエスの死と埋葬でいったん、語るべき福音は無くなってしまったのだ。

ところが誰も予期しなかったことが起きた。三日目の朝、死んだはずのイエスに出会ったという報告が次々と弟子達に届き始めたのだ。そしてついにイエスは疑う11弟子にもご自分を現わされた。イエスの体はさわることができたばかりか、イエスは物を食べて幽霊でないことを彼らに証明された(ルカ24:39-41)。弟子たちは最初、茫然自失のような状態であり即座に喜びに溢れたわけではなかった。しかしイエスに何度も会い、復活の意義についてイエスに教えられて理解するようになるにつれ(ルカ24:45以降)、イエスの御業がイスラエル国の名誉挽回などという小さな目的のためではなく(使徒1章)、もっと大きな事柄、つまり、全人類の根本的な問題である神との断絶/罪と死の問題の解決になるという理解が、頭と心に浸透してくると、それは真の福音として心のうちに熱く燃え始めて行った。そして、キリストの昇天後、弟子たちが聖霊による火のバプテスマを受け、神の力が一人ひとりにみなぎると、彼らは神のなされたことを語り出さずにはいられなくなったのである。

彼らはイエスを十字架につけた人々を前にして「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:20)と恐れなく語ることが出来るようになり、「主イエスの復活を非常に力強くあかし」(使徒4:33)するようになり、このようにして、中近東の片隅で語られ始めた「福音=ゴスペル」は全世界へと広がって行ったのである。

● 復活は死の克服のメッセージ

世界中の人々に唯一等しく訪れる出来事は各々の人の「死」である。神から永遠への思いを与えられている人間(伝道者/コヘレト3:11)にとり、死は不自然であり、受け入れがたいもの、避けたいものである。死は恐怖であり、絶望であり、あらゆる業績と人生経験にゼロのかけ算を行なう虚無の世界である。人は死を意識の片隅に追いやるために目先の目標を次々に追いかけるか、死を前にして諦め、せめて生きている間は人生をフルに楽しもうとあらゆる気晴らしに走る。病気はそのような生き方に突然ブレーキをかけ、準備不足の人々をうろたえさせる。それだけに癌治療、エイズ治療、難病治療、あらゆる病気の治療は「福音」として喜ばれるのだが、イースターは病気の治療以上のもの、死そのものに対する解決としての福音なのである。人間が最も恐れ、絶望するものが「死」であるとすれば、その恐れを取り除き、絶望を希望に変えるのは「生」である。キリストの復活は、神が「死」の向こう側に復活の命を備えておられることの証明であり、死は終わりではない、という明白なメッセージなのである。

 死者の復活を確信し、自らもその永遠の命が与えられていることを確信した者はもはや死を恐れる必要がなくなり、死を越えた原理に動かされる。キリスト教の歴史は殉教者で満ちているが、迫害と困難があったとしても、福音の宣教は悲壮感漂うものではなく、常に喜びと感謝に満ち溢れたものであり、21世紀に生きる人をも同じように巻き込んでいくのである。イースターこそゴスペル、つまり福音である、というのはこういう意味なのである。■


【コラム】遠藤周作の「X」

遠藤周作氏は一般にカトリック信者として知られているが、彼は聖書に出てくる超自然的な出来事はじめ、キリストの奇跡も復活も実際に起きた出来事としては受け止めて来なかった。その意味ではおよそ正統派とは言えないのであるが、彼の関心は、キリスト教を現代日本人に受け入れやすくする方法の模索と、キリスト教が滅びなかった原因の追求にあったと言ってもいいだろう。彼は次のように語っている。
 
(『キリストの誕生』最終章より引用)

ガリラヤ育ち、エルサレム城外で殺された、 痩せた、 手脚のほそい男。 犬のように無力で、犬のように殺されながら、息を引きとるまでただ愛だけに生きた男。彼は生前、現実のなかで無力であり、 ただ愛だけを話し、 愛だけに生き、 愛の神の存在を証明しようとしただけである。そして春の陽ざしの強いゴルゴタの丘で死んだ。それなのに彼は弱虫たちを信念の使徒に変え、人々からキリスト呼ばれるようになった。・・・なぜこんな犬のように殺された男が人々の信仰の対象となり、人々の生き方を変えることができたのか。このイエスのふしぎは、どれほど我々が合理的に解釈しようとしても解決できぬ神秘を持っている。その神秘こそ今度も私の書きえなかった「彼とその弟子の物語」のXなのである。

(『キリストの誕生』あとがきよりの引用)

『イエスの生涯』と『キリストの誕生』を書き終えて、私は正直、肩の荷をおろしたような気がするが、同時にこれを書くことによって、ますますこの最後の章でふれた「イエスの生涯」の謎を考えざるをえない心境である。
 
 福音とは歴史的事実として復活のニュースであり、それがもたらす「死に対する勝利と永遠の命」の確信である。この「福音」抜きにキリスト教を叙述しようとする試みは、エンジンのない自動車がなぜ坂道を上って行くことができたのかを説明するくらい難しいことなのだ。クリスチャンですら自動的に奇跡を信じるようになるのではないが一歩踏み出して神を本気に信じ始める時、復活を信じられるだけの個人的体験が自分の中にも積まれて行き、神の言葉の真実性を疑わないようになる。結局、復活の事実性こそが遠藤氏が切に求めていた「X」なのである。

イースターの福音を自分のものにされたい方に
(信仰を持ちたい方)
あなたもイースターの福音、永遠のいのちを自分のものにされたいなら、次の祈りを心からささげてください。
天地万物を造られ、私を創造してくださった神様。今まであなたの存在を認めず、信ぜず、自分中心に生きてきた罪をここに告白します。私はあなたが私の責任者であることも知らず、「自分の力で生きて行ける」と負えもしない責任を「負える!」と豪語して高ぶり、結果的に自分を傷つけてきました。また親兄弟、友人、知人、また他の人を身勝手な基準で裁き、不当に評価し、不当に扱い、彼らに対して悪も行って参りました。すべてをご存知のあなたの御前に私は当然、罰を受けるべき存在であることを認めます。

このような私のためにあなたの御子イエス・キリストが十字架にかかり、私が受けるべき刑罰を私の身代わりとなって受けてくださったことを知り、私はあなたに感謝します。そしてイエスが復活されて死に対して勝利したのと同様に、私もキリストにあって永遠の命を与えられており、死が終わりでないことを信じます。私は今、罪赦され、神の子とされたことを信じ、感謝します。残る生涯、復活されたイエスを自分の主と仰ぎ、他のクリスチャンに助けられつつ、また助けつつ、神さまが与えてくださる使命に生きていくことを願います。私のうちに聖霊を満たし、自己中心の罪に打ち勝つ力を与えてください。そして日々あなたを第一にし、あなたを愛し、他の人をも自分と同じように愛していけるように助けてください。イエス様が再臨なさるまで、あるいは私の地上での歩みの終わりまで私を保ってください。

主イエス・キリストに御名によって祈ります。アーメン。

■4月〜8月の集会・行事予定■
※ 下記以外にも週の間に、入門クラス、聖書の学び会が定期的に行われています。お問い合せください。■予定が変更になることがありますのでご確認ください。
4/12 (日) 1:30〜3:30pm イースター礼拝・子供会(別紙参照)
4/25 (土)〜5/30 (土) 9:30am〜 キリスト教教養講座春コース(別紙)
5/10 (日) 母の日記念礼拝
6/21
(日) 父の日記念 牧師館裏庭BBQパーティー

【定例集会】
日曜礼拝10:00〜11:20
 
グループ会11:30〜 12:15
 大人、子供それぞれのクラスに分かれます
【各種集会】
グリニッチ家庭集会(場所は電話で)
 5/1金曜10:00am、6/5金曜10:00am
グリニッチ聖書を読む会 金曜10:00am
 
(場所は電話でご確認ください)
スタンフォード聖書を読む会
毎週水曜1:00pm 場所:井上宅
ハリソン聖書入門講座
隔週火曜 10:00am 4/14,4/28,5/5
 場所:
ハリソン長老教会
ニューヘイブン聖書を読む会
月一回木曜10:00am 場所:日比野宅
ハートフォード聖書を読む会
 月一回木曜10:30am 場所:テイラー宅
メンズ・バイブル・フェローシップ
 月一回水曜 8:00pm 荒木宅or教会
月一回土曜14:00pm 荒木宅or教会
マウントキスコ聖書を読む会
 毎週木曜or金曜8:00pm 場所:平野宅


夏の子供バイブルキャンプ
   8/18
〜20(午前中のみ)
今年の夏休みも教会でバイブルキャンプを行います(教会のキャンプはいつも夏休みの一番最後です!)ゲーム、工作、歌などお楽しみいっぱいです。そして教会のキャンプは何よりも心に焦点をあてます。思いやり、勇気、真理、正義、友情など、目には見えないものこそ最も大切ですね!
●対象年齢:日本の学齢で年長から小学6年まで
●参加費用:25ドル(部分参加の場合一日9ドル)


ハーベスト・タイム:毎週金曜朝8時よりWMBCあるいはhttp://www.harvesttime.tv/にて
CGNTVインターネットTV放送 http://japan.cgntv.net/
★日本語ウェブ放送:BBN聖書放送 http://www.bbnradio.org/japanese/
《教会住所》
グリニッチ福音キリスト教会 (Japanese Gospel Church of Greenwich)、 牧師 立石尚志
c/o St. Paul Ev. Lutheran Church, 286 Delavan Ave. Greenwich, CT 06830
website: www.jgclmi.com
《問い合わせ》
教会TEL/FAX(203)531-6450、 牧師宅TEL/FAX (203)531-1609
e-mail:
jgclmi@verizon.net