■グリニッチ便り■     No.138, 2008年2月号
Japanese Gospel Church of Greenwich グリニッチ福音キリスト教会


Easter Message 責任を取る グリニッチ福音キリスト教会 牧師 立石尚志
裁判テレビ Courtroom TV


 この人が我が町グリニッチに家を構えていることをご存知であろうか。テレビで最も人気のあるタレントの一人、ジャッジ・ジューディーことジュディス・シャインドリンさんである。1965年、少年裁判の検察官としてキャリアをスタートし、要職を歴任し1996年の引退まで家庭裁判所の裁判官を務めた。1996年以降JUDGE JUDYと自らの名前を付けたCOURTROOM TV(裁判テレビ)の判事役となり、その辛口判決と切り口の面白さで下火になっていた「裁判テレビ」を再燃させた張本人である。

 ここ米国ではとにかく「裁判テレビ」の人気は高い。2008年2月現在、なんと全米で397もの番組があるらしい。ジャッジは判事の服を着、セットもいかにも本物の法廷のようなので、多くの人は本当の裁判をしていると思いがちだが本当はそうではない。あくまで「調停」なのである。原告被告両者とも最初に「調停」で問題解決すると約束を交わした上でカメラの前での「裁判風」の調停に臨むわけである。勿論ギャラが出るので全国放映で恥をかこうとそのギャラのためなら、という人が出演する。弁護人はつかず、あくまで自分で訴え、自らを弁護する。ジャッジは怒ったり、呆れたり、本物の裁判ではしないような人生相談役まで演じ、最終的に裁定を下す。見どころ、聞きどころは、思わず耳を疑いたくなるような、あるいは笑ってしまうような非常識な訴えや言い逃れの「しっぽ」をジャッジがしっかり捕まえ、最後にばっさり裁きを下すというところにある。どんなケースでも結局は「自分のしたことの責任を取りなさい!」という結論に達するわけであるが・・・。



責任転嫁 誰の所為だ? The Blame Game
 この絵も見ていただきたい。昨年ワシントンDCのNational Gallery of Artsで見かけ、あまりに愉快なのでカメラに収めた。ミケランジェロ張りの創造主が「善悪の木の実を食べた責任」についてアダムに問うている。問われたアダムはエバに、エバは蛇に責任を転嫁するという内容の絵である。表情が実にコミカルに描かれており、まじめな絵画というより油で描かれた漫画である。それにしてもエバが「嫁」であることを考えるならば「責任転嫁」がいかに古い罪であるか理解できよう。

 この絵と裁判テレビで共通しているのは、「裁き」と「責任転嫁」である。なぜ両方とも面白いと感じるのだろうか。「人の所為(せい)にする」という性質や行動は、一歩さがって客観的に見た時に明らかに考えが足りない稚拙な行動であることが分かる。しかし一生懸命責任逃れをしている時は必死であり、傍から見れば自分がどれほど滑稽に写っているかわからないのである。誰もが経験していることだけに、テレビに映る人の中に自分が見えたり、身近な人が見え隠れするのでついつい引き込まれていくのである。さらに私たちの心の中には正義を要求する裁判官も住んでいる。私たちは悪が裁かれると「そうだそうだ!」と歓喜するように出来ているのである。しかし日ごろ責任転嫁の罪を犯しておきながら、人には裁きを要求する私たちはなんとも矛盾した存在である。

人は何よりも責任を取らされることを恐れる!
 残念ながら責任転嫁は人間社会の隅々にまで浸透している病理であり、戦争であれ飢餓であれ、私たちが毎日ニュースとして読む事柄は、煎じ詰めれば結局は「責任転嫁」であることがほとんどである。世の中に潔く責任を取る人間はなぜこうも少ないのか。エリートコースを上り詰めた優秀なはずの人間ほど責任回避は巧妙になり、往生際も悪い。日本では「責任を取って自殺」という表現もよく聞くが本当はそうではない。恥をさらしてでも生き残り、犯した罪を償い、問題を是正する勇気がなかったのである。自分はどうか?大人になってからもいろいろな場面で言い逃れをしてきたことを思い出すし、恥ずかしく思う。責任を取らされることはいつでも恐ろしいことなのだ。さあここで話しをちょっと転じてみたい。

親子と責任
 親というものは子供の理解をはるかに超えて子供のためのいろいろな責任を負い、責任を果たしている。自立していない子供に運転を許可するなら親は子供が起こす事故の責任を負う覚悟をし、高い保険金を支払う。賢い親は、子供の責任能力が育つよう、実力に応じて責任を増やすであろう。子供が「自分でやる!」と分不相応に言い張る時には先が見えていても、失敗の経験すらさせる。にっちもさっちも行かなくなったら「ごめんなさい」という条件付きで親は助ける。なぜ親は子供の責任を負うのか。負い切れないような責任を子供に負わせたら子供の人生も将来もなくなってしまうからである。

神と人と責任
 実はこの「親子関係」と「責任範囲」の考え方をそのまま、神と人間の関係に置き換えたのが聖書である。神は人間のために計り知れない知恵を持ってこの地球という環境を整えてくださった。さらに交通法規に従うことを条件に自動車の鍵を渡す親のように、神の命令に従うことを条件に創造的に生き、地球上の環境や動物たちの管理をも委ねられた。命令に違反して善悪の知識の木の実を食べたことで人間は愚かにも、「神はいらない、これからは自分が法規だ」と主張したのがつまり「原罪」である。しかしその神から責任を問われるとすぐに責任転嫁に走ってしまう情けなさこそ、この絵のテーマである。

 最後にこの絵の右下に注目してもらいたい。小羊とライオンがいる。実はイースターのキリストである。羊は人間の罪のため身代わりとして殺される十字架のキリスト、ライオンは主の主、王の王たる復活のキリストを指す。イースターとは神が人間の犯した罪の責任を取って救いをくださったことを祝う日なのである。神は人に何を求めておられるのか?神の前での高ぶりの罪を素直に謝罪し、神に聞き従って生きる決意をすることなのである。本当に責任ある生き方は、負いきれない責任を神の前に下ろし、責任をとってもらう所から始まる。■

救いがもたらす恵み ニューヘイブン集会在住 H.H.姉

 私は昨年7月末に一足先に主人が住み始めたアメリカに子供たちと共に越してまいりました。私は松山福音センターという愛媛県の教会で受洗いたしました。私の母はクリスチャンで、母の両親ともクリスチャンですから、私は祖母の代から数えると三代目のクリスチャンになります。こうお話すると、クリスチャンとなるためにそれなりの環境があったように思われるかも知れませんが、私の母が嫁いだ先は仏教に熱心な家庭でした。私は小さな頃から散歩の一環ということで父親とお寺によく行きました。お墓の掃除も手伝ってから帰るということも多かったです。祖母も毎日お仏壇の前でお経を読み、お仏壇の世話をしていましたので、私もお仏壇は大切にするものなのだと受けとめておりました。

 母はそのような中、父の実家の宗教を大切にしながらも、子ども4人に信仰を伝えるために子どもと共に聖書の朗読会や祈り会をしていました。月一回、日曜日に親戚が家に集まるので苦労もありましたが、母は子どもたちを教会学校や教会に連れていくことに熱心であり、私はそのような日常の中で、特に楽しみだったのが、姉弟や母方の親戚の子たちと共に教会学校に通うことであり、私はその教会学校を通してイエス様のお名前によって祈るという習慣を身に付け、イエス様が自分の罪のために身代わりに死んでくださったということを聞き、受け入れることができました。大好きな神様をおもいっきり賛美できる教会学校は、私にとって楽しい場所でした。私はその喜びを保育園の保母さんに説明をしていたほどです。このように私はキリスト教と仏教が混在する家庭の中にありながらも、物心つくころにはまことの神様の存在を自然にうけとめていたのです。友人や友人の姉妹、私の家族や親戚、私のこと、教会のこと・・・と、必要にせまられたら即座に祈るということを身に付けていきました。これは本当に感謝なことでした。

 私が受洗を決意したのは小学5年生、教会学校の分級の時間でのときでした。しかし母親の承諾を得て実際に受洗にいたったのは6年生の時でした。約1年かかってたどり着いた洗礼でしたので、私にとってひときわ大きな喜びでした。しかしその後、洗礼は、私の無理やりのことだったのかなという心細さも出てきました。なぜなら受洗後、私は罪深い人間だったということをますます自覚するようになり、そのような悩みを誰にも打ち明けることができないまま信仰生活を続けていたからです。しかしクリスチャン生活を続け、何度も何度も神様に尋ねていく中、私の心細さは解消されていきました。私が洗礼に関して学んだことは、自分の努力の甲斐もあったと思ってはいても、それが自分の努力では決して成し得ない大きな事だったということです。救いは決して人の業ではなく、神業です。私はそのことを知り、私は救われて良かったと実感を持つようになりました。

 また私は、救われたことを通して、具体的な神様の恵みもいただきました。その中で何よりもまず素晴らしいことは、小さなころから願っていたクリスチャンホームの実現です。私の家庭環境のこともありましたので、結婚相手にはもちろんクリスチャンを、ということを必死に祈ってきました。神様は私にすばらしい主人を用意してくださり、元気な二人の子どもまで与えてくださいました。さらに神様は、私の夫になる人の救いだけでなく、その後、夫の家族も次々に救いに導いてくださいました。

 高校卒業後から私は教会学校でのご奉仕を始める恵みにあずかり、結婚後もこのご奉仕を続けています。教会学校は私が大切にしてきた所です。このご奉仕を通し、子どもたちに福音を伝えていくためには、神学校で学ぶ必要を感じるようになりました。独身時代には叶いませんでしたが、不思議に結婚後、道が開かれました。神学校での学びは祈り始めてから10年越しに叶えられた恵みです。神学校に入学してから、さらに救いの事実をはっきりと確信できるようになり、救われている喜びも日ごとに新しく経験できるようになりました。ある方を受洗に導く恵みにあずかりましたが、その時も救いの業が明確化できるようになったので「神様、私がどんなにこの方と、関わったとしても、救いの業は主よ、あなたのものです」と祈れるようになりました。その方も、信仰生活を続けていく中で、「神様のすばらしさは何にも変えられないです」ということを私に伝えてくれます。これは栄光を神様にお返しすることが出来た喜びです。

 このように救いとは神様の業ですが、何らかの形で神様の存在を知るような人との関わりがなければ救いは実現はしません。私も母を初めとして、母の両親や、教会や教会学校の先生、兄弟姉妹の励ましや祈りによって支えられて救いに導かれました。私の育ってきた環境も大きく関わっています。このように神様は一人の人を救うためには、壮大なプロジェクトを用意してくださっています。本当に素晴らしいことだと思っています。神様の恵みは一言では言い尽くせない素晴らしさがあります。これからも私はこの神様を信じて、与えられている家庭を大切にしながら歩んでいきたいと思っています。そして共に用いられたいと願っております。全ての栄光を主にお返しして、お証しとさせていただきます。12/16/07礼拝にて■

■2月〜4月春の集会予定■
※下記以外にも週の間に、入門クラス、聖書の学び会が定期的に行われています。お問い合せください

2/24 (日)10:00am 日曜礼拝
 Guest Speaker: Landon Reeser師

3/23(日)1:30〜3:30pm
 ファミリー・イースター(別紙参照)

4/12(土)〜5/31(土)9:30am〜 
 キリスト教教養講座
  春コース8回・開講(別紙参照)

【定例集会】
★ 日曜礼拝 日曜/10:00〜11:30am

★ サンデースクール 日曜/11:30〜12:00pm
 大人、子供それぞれのクラスに分かれます
 
【各種集会】
★ グリニッチ家庭集会(場所は電話で)
   3/7金、4/4金、10:00am

★ グリニッチ聖書を読む会 金曜10:00am
  (場所は電話でご確認ください)

★ スタンフォード聖書を読む会
毎週火曜1:00pm 場所:井上宅

★ハリソン聖書を読む会
隔週火曜 10:00am 2/19火.3/4火,18火
 場所:ハリソン長老教会

★ ニューヘイブン聖書を読む会
3/6木 10:00am 場所:日比野宅

★ ハートフォード聖書を読む会
  2/28木 10:30pm 場所:テイラー宅

★ メンズバイブルフェローシップ
  隔週水曜8:00pm 場所:荒木宅
   2/20 水 8:00pm、3/8 土 5:00pm
   3/19 水 8:00pm、4/5 土 5:00pm

夏の子供バイブルキャンプ予告! 6/22日午後:牧師館裏庭にてプレキャンプ、8/19火〜21木:バイブルキャンプ

ハーベスト・タイムの放送を毎週金曜朝8時よりWMBCにて、あるいはWEBで!!  http://www.harvesttime.tv/
★お勧めキリスト教日本語ウェブ放送局: 
BBN聖書放送 http://www.bbnradio.org/japanese/