■グリニッチ便り■        No.135, 2007年7月号
Japanese Gospel Church of Greenwich
グリニッチ福音キリスト教会


福祉の先駆者〜キリストに押し出されて
グリニッチ福音キリスト教会 代替牧師 矢吹 博

6月3日から9月2日まで、立石先生ご家族帰国中の前半の代替牧師として奉仕しています。その間、3回の「キリスト教教養講座」を担当しておりますが、7月7日(土)に「キリスト教と福祉」というテーマでもたれた講座の一部を掲載します。

「そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し,荒地に川が流れるからだ。」イザヤ書35:5-6

 明治以降、日本における福祉の先駆者として活躍した人々の中に、幾人かのキリスト者を挙げることができます。

石井十次は日本ではじめての孤児院(岡山孤児院)を創設した人です。彼は医師になるための学びの途中、ある診療所で実習します。ある朝、貧しい身なりの母親から8歳の男の子を預かることになります。しばらくすると別の8歳の男の子が物ごいをしていると聞き、その子も預かりました。噂を聞いた極貧の母親も男の子を預け、瞬く間に三人の孤児を預かることになります。

このようにして孤児の数は増えていき、十次は「医者になる者はほかにもいるが、孤児を救おうとする者は少ない。自分の一生は孤児救済にささげよう」と決心し、それまで6年学んできた医学書とノートを焼き捨ててしまいます。十次が孤児救済に専念するようになると、またたく間に孤児の数は、60人を超え養育費がかさむようになります。とうとう米も麦も尽き、夕食はおかゆという窮状の中で、十次は20人の孤児といっしょに、外に出て神に祈りをささげます。

 祈り終えて戻ってみると、そこに十次の支援者のひとりである宣教師ジェイムス・ベティの妻が米国からの献金31円を携えて来ていたのです。当時米10キロが50銭前後でしたので、それは大きなお金でした。この出来事があって、十次は孤児救済が、神によって与えられた道であることをいよいよ確信することになります。やがて東北三県の大凶作や日露戦争の戦死者の孤児が急増。それでも十次は孤児の受け入れを断ることなく、最大で1200名の孤児を収容する時もあったといいます。

石井筆子は夫石井亮一とともに、日本で最初の知的障害児の施設「滝乃川学園」の創設と運営に力を注ぎました。筆子は「鹿鳴館の華」と呼ばれるほどの華族の令嬢。なに不自由ない生活をし、日本初の海外女子留学生のひとりとして近代女子教育の先駆者でした。ところが結婚して生まれてきた3人の女児はいずれも虚弱児、そのうちの1人には知的障害が認められます。まもなく夫に、そして二人の娘にも先立たれ、筆子は知的障害の娘を石井亮一が創設した「滝乃川学園」に預けるとともに、石井亮一の働きを助け、やがて二人は結婚します。

沢田美喜は、三菱の岩崎弥太郎の孫娘。外交官の妻となり、世界中を転々とします。敗戦後、1946年のある日、東海道線の列車の中にいた美喜のひざの上に、揺れた拍子に網棚から紫の風呂敷が落ちてきます。その中には生まれたばかりの黒人嬰児の遺体があったのです。

この時、美喜は耳元にささやく声を聴いたと言います。「もし、おまえが、たとえ一時でもこの子どもの母とされたのなら、なぜ日本国中のこうした子どもたちの、母となってやれないのか。」美喜はこの時のことを、「私の残る余生をこの仕事にささげ決心を、はっきりとさせた瞬間でした」と書いています。ひざの上に落ちたの嬰児の死体を受け止めるという体験を、神が自分を押し出しておられると、受け止めたのです。

 この人々は、法律も制度もなかった日本で、顧みることのなかった弱い立場に置かれた子どもたちを助けようと生涯をささげました。彼らに共通なのは、自分たちで何かの計画や戦略を立てて実行したのでなく、「向こうの方から飛び込んで来る厄介なこと」をいずれも、神による挑戦として受け止めたことにあります。もちろん、彼らに問題がなかったわけではありません。しかし、キリストに押し出されて弱い者とともに生きたというその人生は、間違いなく日本の福祉を切り開き、キリストを証ししました。

現代、日本では法的にも制度的にも、福祉の充実が曲がりなりにも図られるようになりました。そして、現行の制度の中で、教会ならでは、キリスト者ならではの介護サービス、障害者施設の運営も各所で行われるようになりました。教会がキリストの福音を伝えることの代わりに福祉の働きをするのは本末転倒ですが、福祉のわざを、心を込めて「主に仕えるように弱さをいただいた方々に仕える」ときに、キリストの福音のことばが本来の力をもって、この国に届けられていくのではないでしょうか。


立石先生ご一家は帰国中です

 4年ぶりに帰国された立石先生ご家族は、これまでに働きを支援してきた日本各地の教会(106箇所、118回の礼拝、集会)を訪問し、グリニッチ福音キリスト教会を通して神が与えられた大いなる祝福のみわざについて、報告をしています。

おおまかな予定は次のようになっています。7月までは、東北、北海道、そして南関東の諸教会を訪ね、お子さんがたが夏休みになる7月下旬からは中部を皮切りに九州、四国、関西と移動して行かれます。そして、聖美夫人、恵利也君、安奈さんは8月29日に帰米して子どもたちの新年度に備えますが、尚志先生は以後単身で関東地区の教会を中心に訪問。12月4日に帰米されます。夏休みの前、恵利也君と安奈さんは8月29日までの滞在先である本郷台キリスト教会のチャーチスクールに楽しんで通学しているとのことです。長期にわたる教会訪問の間、先生ご家族が守られ、久しぶりの日本の味をたっぷり味わって(食べ物だけでなく、温泉…も)元気に戻って来られますように。

シンプルなことに気づく
H.H.兄(グリニッチ福音キリスト教会会員)


 信仰の証をするという事、これは本当にどんな事なのだろう。イエスキリストを神であると信じ、お祈りをし、感謝する事だろうか?聖書をくまなく読む事だろうか? 神の道に入る事を信じる事だろうか? 立派な人格者になる事だろうか? 人に神の道を勧め、説く事だろうか? それとも金輪際悪い事をしても、また考えてもいけないという事だろうか? 思い起こせば一年前の同じ頃、やはり同じ事を自問していた。

 洗礼からちょうど1年が過ぎ、立石先生からまた証しをする依頼を受けたのが約2ヶ月前。その時は何の抵抗もなく二つ返事で今日こうして証をする事を引き受けた。そしてその時から自分に問い続けた。自分にとってクリスチャンであることにどんな意味があるのか?人々に証をできるほど自分は成長しているのか?まるで禅問答のように考えれば考えるほど、問いつめれば問い詰めるほど、迷路に迷い込み、行く道を見失ってしまう。これこそが真理、と思ったことも砂を握りしめるように心からこぼれ落ちてしまう。

 教会から借りてきた本を何冊も読み、テープを聞きビデオも見た。それらからのメッセージは確かに立派なものがある。儀式としての証であれば、本やテープそして聖書から引用した言葉用いて、人の耳に心地の良いクリスチャン生活の証をすることは出来る。クリスチャンになる前と後、コマーシャルにあるような使用前使用後の様に。でもそれは全て毒素を含んだ偽善でしかない。

「神よ、助けて下さい」と言いながら、一人でやって行けると考えている傲慢な自分がいる。
「天にまします父よ」と口で賛美しながら、一つも心のこもっていない自分がいる。
「女性はいつくしみ、愛すべき存在」ときれい事を言いながら、肉の欲望を抑えられない自分がいる。
「悪を行ってはいけない」と聖書に教えられながら、それでも必要に駆られてサタンと手を組んでいる自分がいる。

 全てを神の前で裁きを受ける時が来る、と知りながら神の道を歩んでいない自分がいる。そしてサタンの巧妙な誘惑がある。聖書は立派だ、自分も神、そしてイエスキリストは尊敬する、とサタンは言う。でも少し考えてごらん。聖書がなかった時、もっと自由だっただろう。その通りと僕は答える。神の教えがなかった時、もっとエネルギーと希望があってやりたいことに燃えていただろう。その通りと僕は答える。何でもが罪というネガテイブな発想より、人にとって良いことをドンドン行っていく。

 ポジテイブな発想の方が、世の中明るくするだろう。「その通り」と僕は答える。それなら迷うことはない、聖書や神の教えは必要だけど、たまにはそれらを忘れて自由に大胆に明るく行動した方が絶対いいよ、とサタンが誘う。「その通りだ」と答えたい弱い自分がある。

 そう、こんな事を2ヶ月間、立石先生から証しの依頼を受けた時から迷路の中で考えてきた。信仰の証をするという事、これは本当にどんな事なのだろう。自分の中の葛藤、悩み、悶えは、しかし、ここにある一冊の本がそれらを解き放ってくれた。「天国の人〜中国河南省家の教会の奇跡と感動の物語〜」。自分が幸せ過ぎるほど豊かで、平和で、自由の中に存在していることを、この本から改めて思い知ることができる。神の力を本当に必要としている人が何万人何百人もいることがわかる。自分の望みや苦悩、お金がないだとか、人とうまいかないとか、仕事が進まないだとか、人を愛したり愛されたりできないことが、神の御前にはいかに自分勝手な不満だということをこの本が語っている。この中国では、神の奇跡が多く見られる、そしてそれを必要としている大勢の人々がいる。一方、自分にはドラマチックな奇跡や癒しはない。しかし、すべてが神の御手にあり、守られていることが本当に分かり始めた。

 去年、ブルックリンのタバナクルチャーチで神の道へ踏み出す決心がついた。そして、一週間前片桐姉から渡されたこの本が、忘れていた信仰への鞭を打ち、目覚めさせてくれた。日本のことわざに、「人事を尽くして天命を待つ」ということばがある。しかし、イエスキリストとともに神の御霊を信じ、道を歩む者には、この言葉が逆であることがよくわかる。すなわち、天命を恐れ、天命を尊び、天命に感謝し、それからはじめてそれに基づいて自分にできる人事を尽くして行くことが必要だというである。

 自分は今、本当にシンプルなことに気がついている。「イエスは答えられた。一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』」(マルコの福音書12章29,30節)というイエスのことばである。常に神を礼拝し、常に神を信じ、常に神に感謝し、常に神を愛し、常に神の喜ばれる道を歩む努力をするなら、そこに平安と自由が保障され、人の計り知れない、サタンの力など及びもしない豊かさと恵みと喜びがある事を、今理解し始めている。

 悩んでいる人、重荷を負っている人、疲れている人、本当の幸せや平安を求めている人、本当の豊かさと自由を求めている人、
ぜひ聖書の1ページを開いてみて下さい。
ぜひ教会の門を叩いてみて下さい。
ぜひイエスキリストに触れて下さい。

 そこにはけっして渇くことのない泉と豊かな聖霊の恵みがあります。自分も1年前はイエスキリストの愛を知らない世界で、自分勝手に享楽な生き方をしていました。そして疲れて、打ちのめされていました。
 主よあなたの御業を心より感謝します。アーメン。


■ 2007年7月〜8月の集会予定■

 (変更の可能性もありますので電話などでご確認ください)

【特別集会】

8/21〜23
2007子どもバイブルキャンプ
(年長〜小6)申し込み受付中!

8/25(土)午前10時
キリスト教教養講座 その3
「キリスト教と芸術」矢吹 博
[ゲスト]
美術の世界:織田 和正氏
音楽の世界:Todd Williams氏

【定例集会】
● 礼拝日曜日10:00am〜11:15am
● サンデースクール
  日曜日 11:20am〜12:00pm
  大人、子供はそれぞれクラスに分かれます
● 祈り会 グリニッチ/水曜10:00am

【各種集会】
★ グリニッチ家庭集会(場所はTELで)
原則第一金曜 10:00am
★ ハリソン聖書研究会
隔週火曜 10:00am
場所:ハリソン長老教会
★ グリニッチ聖書研究会 金曜10:00am
(場所はTELでご確認ください)
★ ニューヘイブン聖書研究会
(場所はTELでご確認ください)
★ スタンフォード聖書研究会
毎週火曜1:00pm 場所:井上宅
★ ハートフォード家庭集会
  隔週木曜10:30pmテイラー宅
★ メンズバイブルフェローシップ
隔週木曜8:00pm荒木宅

※上記以外にも週の間に、入門クラス、聖書研究会が定期的に行われています。夏の間は不定期になりますので、お問い合せください。

ハーベスト・タイムの放送を毎週金曜朝8時よりWMBCにて、あるいはWEBで!
http://www.harvesttime.tv/
★お勧めキリスト教日本語ウェブ放送局:
BBN聖書放送 http://www.bbnradio.org/japanese/

《教会住所》
グリニッチ福音キリスト教会 (Japanese Gospel Church of Greenwich)
牧師 立石尚志
c/o St. Paul Ev. Lutheran Church, 286 Delavan Ave. Greenwich, CT 06830
website: www.jgclmi.com

《問い合わせ》
教会TEL/FAX(203)531-6450、 牧師宅TEL/FAX (203)531-1609
e-mail: jgclmi@verizon.net