■グリニッチ便り■ (No.130, 2006年8-9月号)
Japanese Gospel Church of Greenwich
グリニッチ福音キリスト教会


聖書と仕事・ビジネス    グリニッチ福音キリスト教会牧師 立石尚志

 
第一線で働く駐在員たちがひしめくこのニューヨークでキリスト教の布教をしている、これが私が現在携わっているビジネス=仕事だが、なかなかこのビジネスもチャレンジが大きい。日本の教会は特にそうなのだが、教会には圧倒的に婦人と子供が多く、働く男性は至って少ない。

 そういうわけで第一線で働いている方々にも是非、教会に集っていただきたいのだが、ハードルが高いことは確かである。理由はそれなりにある。先ず忙しさ。仕事を「BUSINESS = Busy + ness」と書くだけあって、「教会」「キリスト教」「聖書」と聞いただけで「よしてくれよ、仕事で忙しいんだ」「教会は(ひまな)女、子供が行けばいい」
(失礼に聞こえるかも知れません。御免なさい)と反応が返ってくることは容易に想像できる。私も独身時代、サラリーマンをしていたことがあるが9割がたのエネルギーを会社に注いでしまうと、もう何もする元気が残っていない状況だった。まして家族持ちの駐在員に至っては家族サービスも「ねばならない」「仕事」になってしまう。

 しかし。「ビジネスで忙しい」とは言い換えてみれば「忙しさで忙しい」と言う意味でしかない。本来問われるべきことは「何のため」に忙しいのか?である。本当にその仕事に時間をかける正当性があるのか、止めた方がいいのでは? 私がしなければならないことか・・・。過労で病気にでもなって入院しても(当たり前だが・・・)会社は自分を置いてどんどん先に行ってしまう。そんな時、改めて何のための忙しさだったのかと考えることもあるだろう。

 「ビジネス」に比べれば「仕事」という言葉の方がはるかに意義深い。なぜなら仕事は「つかえる」「こと」と書くからだ。しかし、ここでも次に「では誰に仕えているのか?」という問いに進まざるを得ない。国?社長?会社?自分?(恐) 妻?子供?これも深く考えていくと悩んでしまう問いかけである。
 一番肝心な「誰のための何のための仕事なのか」という問いにあなたはいつでも答えられるだろうか。西洋を見よう見まねで追いつけ追い越せと頑張ってきた私たちは、どうもここの部分で何かを置き忘れてしまっているのではないだろうか。やる気のない子供たち、自殺に追い込まれる大勢の人々、無力感、閉塞感が日本を蝕んでいる。

 20世紀初頭にマックス・ウェーバーという人が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本を著し、プロテスタントの中でもカルビン主義の影響の強かった国々で資本主義が発達し、産業/経済の発展に拍車がかかったのに比べ、カトリック、ルター派の多い地域では発展が遅れたことを明らかにした。今、私たちが生活しているこのアメリカ合衆国はカルビン主義の実験場とも言われているほどカルビン派プロテスタントの影響が濃い国である。それだけにここでビジネスをしていると、キリスト教や聖書の教えとビジネスがどれほど連動しているかに驚かされる時がある。米国が聖書の教えを完全に体現しているとは一時も思わないにしろ、それでもこの国の思想とビジネスの成り立ちは深いところでキリスト教と密接につながっていることは確かであり、日本人としてそこから学ぶことは多く、また有益であるようにも思う。

 「忙しさで忙しい」私たちであるが、何のための、誰のための「忙しさ」を日々過ごしているのか、改めて考えてみることは残りの人生に必ず役立つのではないだろうか。


創世記1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
創世記 2:15 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
お知らせ:ビジネスに役立つ聖書講座がスタートしました!
毎月第一火曜日夜8:00より
当教会事務室にて 次回9月5日(火)
★以下に今後取り上げていきたいテーマを挙げておきます
(順番、内容はこの通りとは限りません)

創造的な仕事をしたい!
聖書は仕事と創造性の関係を明確に教えています。「創造主・CREATOR」を信じるクリスチャンは「創造性・CREATIVITY」こそ神が人間に与えた最も崇高な能力の一つと考えます。アメリカ人の創造性の源もこの辺にありそうです。

誰のため、何のための仕事
何のために仕事をするのか?食べるため。何のために食べるのだ。仕事をするため。このエンドレスなサイクルに終止符を打つ明確な目的が仕事にはあるのでしょうか。聖書はなんと言っているのでしょうか。

責任感・無責任・責任転嫁
どんな仕事にも「責任」が伴います。しかし責任転嫁、責任逃れは常に仕事の世界にはついて回る問題です。神を信じることで何が変わるのか。恐れから解放され「責任ある生き方」をする方法を探ります。

仕事に役に立つ聖書の格言
心に刻まれた言葉はいざと言うときに役立つものです。社訓の暗唱も有益でしょうが、聖書のことばは何千年も前から世界中の人々に暗唱され、人にビジョンを与え、生きる指針、ビジネスの指針として役立って来ているのです。

労働とむなしさ
労働=苦痛。多くの人がそう感じていますがなぜなのでしょう。聖書は人間の罪とその結果である死がどのように「労働」をむなしくしてしまったか、そして人はどうしたら空しい仕事から解放されることができるのかをはっきりと教えているのです。

男女の労働観の違い
男女平等は実現したか?常に問われることですが、聖書は男女がそれぞれ異なった目的のために、異なった能力をもつように神に創造されたと記しています。また本来、仕事は男女がペアで行っていくものであることを教えています。

悪に迫られた時どうするか
自分の倫理観に反することを会社から要求された時にどうすればいいのか。聖書の中には悪に迫られた人々が数多く出てきます。ある者は悪に屈服せず、あるものは見事に飲み込まれていきました。その違いは何だったのでしょうか。

これからの世界情勢
聖書の最も驚くべき事柄の中に「預言(よげん)」があります。1500年にまたがって書かれている聖書ですから、聖書の中ですでに成就した預言もたくさんありますが、これから世の中で起こるべき事柄に関しても多くを語っています。自分が今している仕事はその大きな潮流の中のどの辺にあるのか考えてみる時となるでしょう。

戦争・赦し・平和

 
イスラエル・ヘズボラとの間で戦争が続いている。最大の難しさはヘズボラがレバノンのシーア派武装集団であり、イスラエル撲滅を存在目的としてことにある。この集団に停戦、降伏を求めることはその存在目的そのものを否定することになり、不可能に近いことなのだ。

 61年前の8月、軍部主導の大日本帝国は圧倒的な軍事力の前に膝をかがめた。国民一人残らず死に至るまで戦うよう徹底的に教育・洗脳されていた状況は今日のシーア派武装集団と何ら変わるところがない。私の父はぎりぎり戦争に行かなかった世代だが学校で竹槍を突く訓練は受けていたそうだ。戦争は避けることのできなかった現実であったのだ。時間が経ち、洗脳が解けて初めて自分たちの狂っていた状況が見えてくる。しかし国挙げてのむき出しの自己中心は何と大きな損失を生み出したことだろう。

 今、私たちはその狂った日本と戦わざるを得なかったアメリカに住んでいる。グリニッチ教会は聖パウロ・ルーテル教会をお借りして活動しているが、どうしても日本人教会に教会施設を貸すことが赦せない方もかつていらした。この方は数年前にお亡くなりになった。子供の級友のお祖父ちゃんは海兵隊員としてフィリピンで日本軍と戦った。お祖父ちゃん一人残し、部隊は殲滅したのだそうだ。未だに戦争の傷跡は癒されていないとその方の娘である級友のお母さんは語る。ドイツが第三帝国、日本が大東亜共栄圏という狂信的な侵略政策を実行していなければ、40万ものアメリカの若者が命を失わずに済んだのだ。アメリカに住まわせていただいている者として今一度、40万という数を心に刻みたい。彼らの犠牲が無ければ、今の日本の自由も繁栄もない、ということを私たちは心から受け止めたい。

 戦争を起こした日本は中国において兵士200万、市民に至っては700万人もの命を奪った。東南アジア全域を加えたらその数はさらに大きい。日本は兵士200万、市民60万、ドイツは兵士550万人、市民184万人をその狂気の中で失ったのである。第二次世界大戦合計6200万人の損失を私たちはどうはかることが出来るだろう。首相の靖国参拝とか教科書表記を「侵略」にするか「進出」にするかというような議論がいかに的はずれなものであるかを思う。

 私たちはこれを人ごとのように聞いているだろうか。聖書がはっきり指摘していることは、私たち一人ひとりが破壊と悲惨を生み出す同じ「狂った自己中心性」を心の内に持っている、ということだ。この自己中心は不要な損失と痛みとを生み、夫婦間、親子間、地域間、人種間のありとあらゆる所で不和を生み出していく。赦しと和解に進むことがなければ、憎しみは拡大し、復讐の連鎖はとどめられない。

 自己中心の問題を解決する唯一の方法は、神ご自身が示してくださった十字架という道以外にないことを聖書は教えている。キリストの十字架は神ご自身が赦しの不在と復讐の連鎖とを断ち切るために取られた完全かつ十分な方法なのである。十字架の御前にひざまずくとき、私たちは小さいけれども、平和を作り出す存在へと変革させられて行くのである。8月を迎えるに当たり、今一度、神がこのどうにもならない状況に介入してくださったことを感謝し思い巡らし、自らのあり方を検討して行きたいものである。


平和の祈り

主よ。わたしを平和の道具とさせてください。
わたしにもたらせてください...
  憎しみのあるところに愛を、
  罪のあるところに赦しを、
  争いのあるところに一致を、
  誤りのあるところに真理を、
  疑いのあるところに信仰を、
  絶望のあるところに希望を、
  闇のあるところに光を、
  悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、
わたしに求めさせてください...
  慰められるよりも慰めることを、
  理解されるよりも理解することを、
  愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、
  自分を忘れてこそ、
  自分を見出し、
  赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠のいのちに復活するからです。


(この祈りは古く聖フランシスコ会に伝わる祈りです)
洗礼における信仰告白       2006年6月18

グリニッチ福音キリスト教会 H.H.兄 


洗礼を受けるという事、信仰の証をするという事、これは本当にどんな事なのだろう。イエスキリストを神であると信じ、お祈りをし、感謝する事だろうか?聖書を隈無く読む事だろうか?神の道に入る事を信じる事だろうか?立派な人格者になる事だろうか?人に神の道を勧め、説く事だろうか?それとも金輪際悪い事をしても、また考えてもいけないという事だろうか? 洗礼を受けたいと決心した時から、僕の心には平安があり、謙虚にする心と姿勢が自分を満たしているのが分かる。ここに私の洗礼に向けての信仰告白を記したい。


● 決 心 
3月4日、その日我々はBrooklyn Tabernacle教会にいた。おりしも3時30分に開演したパフォーマンスが終わりJim Cymbala牧師が壇上に立ち賛美歌を歌い始めたとたん、待ってましたとばかり会場の雰囲気ががらっと変わり熱気が立ち始めた。会場は賛美歌の大合唱。90%以上を占める黒人とヒスパニック系の信者は、声ばかりでなく身振りも大きい。左隣の胴回りの方が身長より明らかに長い女性の汗、真後ろの歯の抜けた老人の唾が遠慮なくかかる。Amazing Grace の大合唱。同行した右隣の数人も両手を空高くあげ、陶酔した様に賛美歌を歌っている。

その時、その瞬間、僕の背中は優しく、しかしはっきりとした意思を持った存在に押された。振り返ってみる。後ろの老人は両手を上げ目をつぶり、相変わらず唾を飛ばしながら歌っている。隣の胴長おばさんも賛美歌に興奮している。誰かが押した訳ではない。僕の心へ何かが訴えている。前へ出て行け、壇上の近くまで出て行けと。今がその時、出て行って賛美歌を歌え、そこに場所がある、と。これは僕の心の叫びなのか、それとも誰かの声なのか?渇いた人が水を求める様に僕は最前列近くまで進み出た。

すでにそこには会場から進み出た人々で10人、20人と増え始めていた。どうした事だろう。そこで両手を挙げ賛美歌を歌い始めると、止めどもなく涙が出始めた。次から次から。悲しい訳ではない、嬉しい訳でもない、感動している訳でも陶酔している訳でもない。それなのに涙が止めどもなくあふれ出る。過去を振り返って考えてもこんな状況に遭遇した事はかつてない。しかし涙がでる度、心が開放され軽くなって行くのが分かる。魂と身体が清められて行く事を実感出来る。50数年間、人生の中で蓄積された心の中のヘドロ、そうそれは金銭欲、権利欲、色欲、高慢、嘘、罪、自己中心、自分勝手、これらが身体の中から押し出され洗い流されていく様な気がする。心がとても平安になるのが分かる。これは神の御業なのか?聖霊を感じるとはこういう事なのか?心の荷を降ろし平安に満たされる。もしこれが神の導きなら素直に従って行こう。その時、僕の洗礼への決心がついたのだった。

長い長い魂の賛美歌が終わる。人々が落ち着きを取り戻し、僕の涙も止まる時を知った。そうするとさらに驚く事があった。涙で目が霞んで見えなかったものが今はっきりと見える。遠くの席にいた時はまるで見えなかったもの、その存在さえ分からなかったものが、今ステージ中央の壁にはっきりと見ることが出来る。そこには言葉があった。
God is Love.


● 出 会 い

主イエスキリストと教会とのはっきりした出会いは過去に3回あった。

中学の時が最初の出会い。東京から引っ越して落ち着いた家は群馬県桐生にあった。すぐ裏手に立派なカソリックの教会があり12月24日の夜、クリスマスのミッドナイトミサに出たのが教会に足を踏み入れた最初だった。2年目に出席したミサの途中、友人3人と抜け出し、クリスマス歓談会のために置いてあったみかん、食べ物、キャンデイー、さらに冷蔵庫からは見た事もないアメリカ製のハムやチーズを盗み出し、家へ持ち帰って友人とワイワイやった。高度成長時代の先駆けの頃でもあり、極端な貧困や飢えに苦しむ人はいなかったが、丸ごとのハムや、ドーナッツを10倍大きくした様なチェダーチーズの塊などは平均的日本人ではお目にかかれないものばかりだった。この時感じた贅沢が若い僕には赦せなかった。彼らは貧しい者、恵まれない者の味方ではないのか。盗みを働いた後ろめたさ以上の不信感をその米国人神父や教会に対して持つことになった。

テキサスでの大学院時代、友人から誘われて日曜の朝礼拝へ出る事になった。これが2回目の主イエスキリストそして教会との出会いだった。学生生活での朝起きは辛くテキサス訛りでの牧師の説教にはあくびばかりでた。礼拝への参加が半年程続いたのは、日本人のおばさん達が持ち寄って出してくれた素朴な日本食・・・その時の僕には大ご馳走だった・・・があったからに他ならない。ある昼食後、質問が僕に回ってきた。イエスキリストをどう考え、感じるか?僕は自信を持って答えた。イエスキリストもお釈迦様も、モハメッドも仏も、僕の周りに座る友人、知人と同じであり、自分の上でも下でもない。結局これが自分の哲学となり、その後何十年も持ち続ける考えとなった。この春までは。

あなたは無神論者ね。僕は答える。そうさ無神論者のどこが悪い。寺に税金が掛からない事をいいことに、集めたお布施でビルを建てたり、夜の街に繰り出して悪い事をしている坊主もいれば、キリスト信者にだってマフイアみたいな悪いやつもいる。聖職者である神父や牧師だって同性愛だったり、本を出版して儲けて豪邸に住んでいるやつだっているじゃないか。神に従うと見せかけて悪い事をするぐらいなら、悪い事をしない無神論者の方がよっほど筋が通るじゃねえか。だいたいキリスト教なんてうざい事言っていたらビジネスなんか出来ねえよ。聖書がビジネスの交渉を教えてくれるのか?福音書に儲け方が出ているのか?お祈りをしている間に競争相手に出し抜かれてトンマにはなりたくねえよ。イエスがエルサレムに上がった時、両替商人のテントをひっくり返したのだって気にいらねえよ。生きるために両替だってやっているんだ、それををひっくり返す権利あいつにあるのかよ。冗談じゃねえ。

僕は神を頼らない無神論者である事にむしろ誇りをもっていた。自分勝手に。

2年前のこの教会で立石牧師先生にお会いした。これが主イエスキリスト、そして教会との3回目の出会いである。でもその時の僕は落ち込んでいた。精神的にでも人間関係でもなく、経済的にどん底になっていた。

僕は恵まれた環境に育った。働き者で明るく、優しさと厳しさを持った両親の元に育ち、立派な教育を受け、華やかな職業と人並み以上の収入があった。僕には勿体なさ過ぎる程の女性と結婚し、立派な3人の子供も授かった。会社を退職し、自分で仕事を始めた時でさえ、前途洋々の船出であった。世界が自分の周りを回り、天も地も人も自然も自分を祝福している様にさえ感じた。成功も失敗も全ては自分の判断と責任、自分の実力と決断。他人にも神にも願わない、頼らない!

1999年秋、ハリケーンによる大洪水があり、腰あたりまで泥水が入り、商品、カーペットさらにコンピューターまで数万ドルの損出。2001年、9月11日の惨事はさらに仕事に大きな打撃をもたらした。二つの出来事によりもろくも自分の経済基盤は崩壊した。いままで築いたものはまさに砂上の楼閣であった。そんな状況で立石先生の教養講座に出席するようになり、昨年からは礼拝にも参加する様になった。しかし教会への参加とは関係なく経済状況は一向に良くはならず、むしろ悪化する。外に見つけた仕事からの給与支払いが2ヶ月も滞納される。教会へ行くガソリンを入れるお金がない。献金箱に入れる1ドル札さえ家中さがしても見つからない。どうしてこんな事になったのだろう。

●生まれ変わり
あの3月4日Brooklyn Tabernacle教会での体験。あの日僕は新たな道を見つけた。今まで考えもしなかった神の示した道、神に従い、神を恐れ、神に感謝し、そして神を愛する道を歩き始めた。



鶏が2回鳴く前にイエスキリストを3回拒絶したのはペテロです。イエスキリストは復活の後その同じペテロに3回訊ねます。あなたはこの人たち以上に私を愛しますか?ペテロは答えた。はい主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。イエスはさらに2回ペテロへ尋ねた。あなたは私を愛しますか?ペテロは答えた。主よあなたはいっさいの事をご存知です。あなたは私が愛することを知っておいでになります。僕はここで3回誓います。主である神あなたを愛します。イエスキリストを信じ、あなたを賛美します。主よ、あなたの道に従い、あなたの愛を信じ、あなたからの聖霊を賜り、永久にあなたを愛します。

今、神を信じ洗礼を受けるにあたり、意地悪な声が聞こえる。事業に失敗したから、経済的に破綻したから今度は神に頼るのか?ようするに負け犬じゃねえか。しかし、本当にそうだろうか。本当に負け犬だろうか?神を知る前、僕は強さを見せるために色々なもので武装してきた。それは会社組織であり、地位であり、経済力であり、学歴であり、多くの知り合いであり、傲慢な性格であり、薄っぺらな知識であった。今、それらは全て取り去らわれて神の前に裸の自分がいる。神の前に全てをさらけ出している。 弱い者である事。罪の深い人間である事。10ドルのお金にも困る自分がある事。神を恐れ、神の前には爪の先ほどのちっぽけな存在でしかない事を謙虚に認める事の方が、鎧をまとって戦うよりはるかに勇気が必要である事、今、このことをはっきり実感している。そしてこの状況を与えてくれた神に心より感謝したいと思う。

主である神の前にへりくだり、神を恐れ謙虚になることを常に行っていきます。モーセが40年もの間、荒野でへりくだる事を学んだ様に。悔い改め、罪を繰り返さない事を神に誓います。嘘や罪は他人には見えなくても、自分自身がその罪を犯す事を知っています。そしてなにより自分を創造した天の目がその嘘や罪を隅から隅まで見ています。ダビデ王が詩篇139節で神を恐れ、愛し、神への服従を誓ったのと同じです。今までの僕は人に対し、打算的に利害を考え謙虚さを装っていました。これからの人生、生ま変わる人生は神の前に頭(こうべ)を垂れて行きます。

実るほど頭を垂れる稲穂かな。この俳句は成功するほど謙虚になれ、頭を低くしろと教えています。
「人は生まれ変わらなければ、神の国を見ることは出来ない」ヨハネ3:3
イエスキリストが律法学者のニコデモに言われた言葉。
「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」IIコリント5:17

今、洗礼により死に、新しい魂を持って生まれ変わり、神の子供とされた事を感謝します。今生まれたばかりの自分は不完全です。でも神の御業と恵みにより、良い人格を持ったクリスチャンとして変えられていくことを願います。神の御業と神が示した方向を信じ、その中で自分を燃焼させて行きたいと考えます。そしてもし神がその道を許し示してくださるのであれば、聖霊の力により今与えられた仕事を成就させ、イエスキリストを信じ、神に従うクリスチャンでも仕事を成功させられるという事実を通して、多くの、希望を無くし行き場を見失なっている日本のビジネスマンを導いて行きたいと考えます。聖書の中にビジネスを健全に行う教えがあり、神の示される道が実は成功への道でもある事を、地の塩、世のひかりになる様に伝える事が出来れば幸せです。そしてそこから得られる収入は、貧困や飢え、病気のために死んでしまう様な子供たちのために役立てたいと考えます。そしてもし自分の望む事が実現しなくても、尚、主の計画に従います。

主よこれからも私のうめきを聞き取って下さい。私の叫びを心に留めてください。私を叱り付けて下さい。そして私に勇気と力、希望と愛、そして正義をお与え下さい。私はあなたに祈ってます。今日のこの日へ導き、この時を与えて下さった事、イエスキリストの御名において心をつくして主に感謝いたします。  アーメン■


■2006年8月、 9月の集会予定■
(変更の可能性もありますので電話でご確認ください)
2006 キャ
参加受付中!
★申込み締切 8/14(月)
● とき:2006年822日(火)〜24(木)
     9:00am~ 12:30pm(最終日のみ〜1:00pm)
● 内容:聖書のお話、ワーク、歌、ゲーム、工作、スナック
●参加年齢:日本で年長〜小学6年生
●参加費用:25ドル(部分参加の場合一日9ドル)
★テーマ:ザ・ビッグ・テン 十のめいれい/
Ten Commandments

● 礼 拝 日曜日 10:00am〜11:15am
サンデースクール
 日曜日 11:20am〜12:00pm※
   ※大人、子供はそれぞれクラスに分かれます
祈り会  グリニッチ/水曜10:00am
ニューヘイブン/木曜 12:00pm
各種集会
グリニッチ家庭集会(場所はTELで)
  原則第一金曜 10:00am 9/8、10/6
ハリソン聖書研究会
 隔週火曜 10:00am 8/8, 8/29, 9/5
  場所:ハリソン長老教会
グリニッチ聖書研究会(場所はTELで)
  金曜 10:00am
ニューヘイブン聖書研究会 (場所TEL)
 原則第一、第三木曜 11:00am
スタンフォード聖書研究会
 毎週火曜1:00pm 場所:井上宅
ハートフォード家庭集会
9/19 B 1:00pm 8月は休みです
  場所:テイラー麻生子宅
ビジネスピープル聖書講座
9/05 B 8:00pm 会堂事務室にて


※上記以外にも週の間に、入門クラス、聖書研究会が定期的に行われています。夏の間は不定期になりますので、お問い合せは下記、教会か牧師宅(立石)までお願いします。
★ハーベスト・タイムの放送を毎週金曜朝8時よりWMBCにて
★教会のホームページも少しずつアップデートしています
★お勧めキリスト教日本語ウェブ放送局:

BBN聖書放送 http://www.bbnradio.org/japanese/
《教会住所》グリニッチ福音キリスト教会
(Japanese Gospel Church of Greenwich)牧師 立石尚志
c/o St. Paul Ev. Lutheran Church, 286 Delavan Ave. Greenwich, CT 06830
website: www.jgclmi.com
《問い合わせ》
教 会TEL/FAX (203)531-6450
牧師宅
TEL/FAX  (203)531-1609
e-mail: jgclmi@verizon.net