■グリニッチ便り■ (No.127, 2006年1-2月号)グリニッチ福音キリスト教会
Japanese Gospel Church of Greenwich


期待して祈る グリニッチ福音キリスト教会牧師 立石尚志

 人の親になってみて分かったことは、子供から期待されることのうれしさである。能力的、経済的な限界もあるが、子供からの期待が大きければ大きいほど、「ガンバルぞ!」と、力も湧いてくる。期待する性質も、期待に応えようとする性質も共に神が人間に与えてくださったすばらしい性質である。三人兄弟の長男であった私はいつも弟たちが親の事情などまるで関係ないかのように、大胆の親のすねをかじっているのを見てうらやましく思っていた。しかし私は親にあまり迷惑をかけてはいけないのでは...、といつもどこかブレーキが掛かってしまい、甘えるのが苦手であった。いつのまにか自分の力でなんでもやるのだ、というまったく見当はずれなプライドが働いて、結果的に親の力を見くびっていたのだ。期待しないことの方が罪深かった。そんな私は今、期待することに関して「再教育」を受けている。
 
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」  1コリント2:9 
 

 これは今年2006年のグリニッチ教会の年間聖句として掲げたものであるが、何とすごい宣言であろうか。私たちは大いに神に期待すべきなのである。しかも神は私たちの思いを遙かに越えて私たちに恵みをくださろうとしているのだ。
 
 私は聖書にこのような言葉があるからこそ、聖書の神のみが真実な神であることを確信する。理由は簡単だ。神が私達の考えの及ぶ範囲のことだけしかできないなら、祈りは空しく、そもそも信仰など必要ない。そのような神は神である必要もない。さらにこれは人の「念じる力」でもない。人間の「念じる力」から生み出されるものは所詮、人間の限界を越えることはありえない。ここに示されている神は、その計り知れない「愛」ゆえに、私たちの予想を越え、思惑を越え、期待を越えて働かれる方なのだ。だからこそ神は神でいらっしゃるのだ。
 
 キリスト教の歴史というものは、初代の使徒たちから始まり、現在に至るまで、この計り知れない神を知ったことの喜びと驚きの歴史なのだ。このような神の知識は硬直せざるを得ないキリスト教という「宗教」の殻をいつも内側から砕く力として働いてきた。初代のユダヤ人クリスチャンたちは外国人たちに救いがあると夢にも思わなかった。ルターによる神のすばらしさの発見は教会を全く造り変えてしまった。米国では白人の神が奴隷と主人の関係を飛び越えて黒人の神となり、心の支えとなった。驚きの歴史は私たちの個人史においても当てはまるべきである。神が分かってきたと思った瞬間、神は「その知識」をうち砕いてしまうかのようにご自身についての新しい世界を見せてくださるのだ。
 
 だから私たちのちっぽけな罪に汚れた知識と知恵で神を計ることをしないようにしたい。神を知れば知るほど、神の御言葉の前での姿勢は全き献身と服従のみであることが理解できるようになってくるものだ。新たな一年、ますますこの神のすばらしさを知り、この神を自分の「父なる神」と呼べることの特権を体験していきたい。まわりにいる人にこのすばらしさと恵みを語らずにいられないほどに神を豊かに経験していきたいものである。■

受洗の証し Y.M.姉 イムマヌエル松江教会会員 元グリニッチ家庭集会/聖書学び会メンバー

今日の日を迎えるまでに、実に多くの人たちとの出逢いがありました。それは神様がすべてセッティングしてくださった出逢いです。このことを感謝します。

私が教会に通い、聖書を読むきっかけとなったのは、子供時代の教会学校を除けば、父が病気になったことです。クリスチャンのドロレス
(シカゴ出身のアメリカ人女性で私の英会話個人レッスンの先生)に、「つらい時は聖書のどこを読んだらいいの?」と尋ねました。彼女は毎週水曜に松江バプテスト教会で行われる婦人祈祷会を紹介してくれました。初めてその祈祷会に出席した朝、メンバーの皆さんはこう祈ってくださいました。「神様きょうここにMさんを連れて来てくださってありがとうございます。」私はとっても驚きました。毎週の集いに私がただおじゃましただけなのに、そのことを神様に感謝されている皆さんの姿は私の目に実に新鮮に映りました。

ドロレスの生き方を見ていると、いつも神様と共にいるということがよくわかりました。そして彼女は私にとって、とても心強い存在でした。ある夜、父の3度目の手術直後、病院に泊まっている母に、その実母が亡くなったということを知らせに行かねばなりませんでした。私は神様に「お守りください」と大声で叫びながら車を走らせました。つらい時に名前を呼ぶ方がいる、それはとても心強いことだということがわかりました。翌日ドロレスは飛んできて私を抱きしめてくれました。ふと見ると、彼女は奥さんを亡くしたばかりのF兄(ナイジェリア人男性)のお子さん3人を預かっており、その子たちをも車に乗せてきていたのです。私は彼女のようになりたいと思うことがたびたびありました。それは彼女が聖書にある黄金律に従って生きていたからです。

それで何事も自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ7:12)

その頃から神様のことをもっともっと知りたい気持ちで、私はいろいろな本で勉強し始めました。今振り返ると知識の詰め込みにすぎなかったのかもしれませんが、私なりにたくさんのことがわかってきました。

月日はたち、夫の転勤が決まりました。何と行き先は、バプテスト教会婦人祈祷会ですでに出逢っていた、S姉妹がかつていらしたグリニッチになったのです。私には神様がその街を選ばれたとしか思えませんでした。なぜなら全世界で100はある候補地の中から夫の赴任がそこになったからです。

今度はグリニッチの日本人教会員の方々が私を待っていてくださいました。礼拝、家庭集会、聖書研究会に参加しましたが、渡米前と同様にまだお客さん気分でもありました。しかし神様が共にいてくださるということを信じていましたから、初めての海外生活の中、困難や不安も多々ありましたけれど、祈ることによって神様に守られていることを感じるようになりました。そして帰国2日前まで続いた学び。これは立石先生と三浦さんの3人で始めた半年間の学びです。私にとってはアメリカでの3度目の学びでした。この学びで神様が私に迫ってきました。神様と私の関係がより近く、より確実に、単なる知識としてではなく自分のものとしてわかった!と言えるようになり、お祈りの内容も「洗礼についてどうしたらよいのかおしえてください」というものになっていきました。先日娘に「なぜ3度目にそうなったのか?」と尋ねられました。

これは聖霊様がはたらいてくださったとしか説明できません。ただ遠く離れたあちこちから多くの皆さんが祈ってくださったからだということも十分承知しています。その後無事帰国し、教会員にグリニッチのOB-S姉妹、G姉妹がいらっしゃるということで、インマヌエル教会に通うことにしました。

はじめの頃は礼拝にも毎週出ることはできなかったので、南場先生と一度ゆっくりお話したいと申し出て、夏のある日自己紹介をするつもりで参りましたところ、何とその日に大きな宿題をいただいたのです。先生は「今までの罪をすべて紙に書いてきてください。出尽くしたと思われたら持ってきてください」とおっしゃいました。このことは、いつかは通らなければいけない道だとは知っていましたから、覚悟を決めてたくさん書いてみました。そして後日先生にそれらを読みあげていただいた時にはどうしようもなく恥ずかしくて情けなくて仕方がありませんでした。

それは、今まで私がいかに自分中心に生きてきたかを思い知らされる場だったからです。自分がよければそれでよい、自分の方が人より上、そんな気持ちで人生を送ってきました。それは自分でもうすうす気がついてはいたのですが、あえて気がつかないふりをしていたようにも思えます。今回のように改めて文字にし、神様にそれを告白することはとてもつらいことでした。ですが、こんな罪深い私のためにイエス様が十字架にかかり血を流されて死んでくださった。そして私の罪が許された。本当に申し訳なくて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これからは神様が喜ばれることをして生きていこうと思います。イエス様ならこんな時どうされるか、どう言ってくださるか、そう問いながら毎日を送りたいと思います。そしてこの素晴らしい神様のことを周りの人々に伝えていきたいと思います。罪深い私は一度死に、そして今神様によって生かされています。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)

これは私が一番好きな聖句です。どうか疲れたら休ませてください。そしていつも愛してくださってありがとうございます。今回のアメリカ行きの前から、そしてその後まで神様はいつも共にいてくださり、守ってくださいました。さらに神様は、多くの兄弟姉妹たちに出逢わせてくださいました。またその方々との交わりの中にも常に共にいてくださって、私をきょうまで導いてくださいました。実に長い間待っていてくださったことを心から感謝します。          2005年11月27日受洗 ■


(コラム)STRANGERS IN THE HOUSE 子供たちへのメディアの影響(上)

 アメリカでは子供一人当たり一日平均4時間、男性大人は週29時間、女性大人は34時間。平均30時間見るとしたら、72才までの間になんと、丸々12年間をテレビの前で過ごす計算になる。6才の子供は一生の間に父親と会話する時間よりも多くの時間をテレビの前で既に過ごしてしまっている。これにテレビゲーム、iPod、携帯電話を入れたら、画面の前での時間はもう計り知れなくなる。
 テレビの前で一日当たり2時間過ごすと肥満度は23%増え、糖尿病(type2)になる確率が14%上がるのだそうだ。当然テレビを多く見る子供は成績も悪い
(www.tvturnoff.org 参照)。大人は最高週10時間、二歳以上の子供は最高2時間まで、というのが米小児アカデミーで出しているテレビ制限時間数だが、しかし、健康面だけの話では終わらない。メディアの影響でもっと深刻な問題はなにか?それは・・・
STRANGERS IN THE HOUSE
・・・つまり、見ず知らずの人が、家の中に土足で入ってくる、ということである。誰が見ず知らずのセールスマンや宗教家を、無許可に家の中にいれるだろうか。しかし、テレビをつけ、インターネットをするたびに、金儲けという明確な目的をもったセールスマン、メディア依存教を促す教祖たちを家に招いているのと同じことなのだ。そのセールスマンたちや教祖たちにベビーシッターをお願いし、子供たちに「大量消費者になるための調教」をしてもらっているのが実体である。現代社会はそれで回っているのだからいいじゃないか。確かに・・・。
 しかし人間はひとりひとり神から与えられているもっと尊い使命を果たすためにこの地上に活かされている、という観点から考えるなら、どうだろうか。しばらく前から人間はIQ
(知能指数)以上にEQ(相手の気持ちを考えることのできる広い意味での心の能力:自信、好奇心、計画性、自制心、仲間意識、意志疎通力、協調性等)が生きていくためにはより重要である、と言われるようになっている。先進国の子供、青年たちのEQ不足は世界中どこでも深刻である。いじめ、不登校、ニートはそのままEQ不足の現れであり、テレビ、メディアがこのEQ不足と直接関わりがあることは陽を見るより明らかである。神が人に与えてくださった人間のすばらしい能力がこのような形で無駄になっていってしまっていいものだろうか。メディアに対しては真剣に取り組んで行きたい。■

2006年2月、 3月の集会予定
(変更の可能性もありますので電話でご確認ください)

礼 拝
  日曜日 10:00am〜11:15am
サンデースクール
  日曜日 11:20am〜12:00pm※
  
※大人、子供はそれぞれクラスに分かれます
祈り会
  グリニッチ/水曜10:00am
  ニューヘイブン/木曜 (第 2,4,5) 12:00pm

各種集会
グリニッチ家庭集会
  原則第一金曜 10:00am
  次回 2/3、3/3★ ハリソン聖書研究会
 隔週火曜日 10:00am
  場所:ハリソン長老教会
ニューヘイブン聖書研究会
 第一、第三木曜 10:30am

シニアシチズン聖書研究会
  毎週火曜1:00pm 場所:井上宅
ハートフォード家庭集会
   2/21 B 3/21 B 1:00pm
  場所:テイラー麻生子宅

※上記以外にも週の間に、入門クラス、聖書研究会が定期的に行われています。いずれも場所等のお問い合せは下記、教会か牧師宅(立石)までお願いします。

★2/19礼拝にゲストメッセンジャーとして中島克範先生が来られます!
中島先生はニュージャージーラブ・ジョイ・ピース教会を新しくニュージャージーにいる日本人のために始められました。若さ溢れる情熱的なメッセージで迫ります。

【その他】
★ハーベスト・タイムの放送を毎週金曜朝8時よりWMBCにて
★教会のホームページも少しずつアップデートしています
★お勧めキリスト教日本語ウェブ放送局:

BBN聖書放送 http://www.bbnradio.org/japanese/

《教会住所》グリニッチ福音キリスト教会 (Japanese Gospel Church of Greenwich)牧師 立石尚志
c/o St. Paul Ev. Lutheran Church, 286 Delavan Ave. Greenwich, CT 06830 website: www.jgclmi.com
《問い合わせ》 教会TEL/FAX(203)531-6450、 牧師宅TEL/FAX (203)531-1609, e-mail: jgclmi@verizon.net