■ グリニッチ便り ■ (No.122, 2005年2月号)グリニッチ福音キリスト教会

Japanese Gospel Church of Greenwich


寒中お見舞い申し上げます
牧師 立石尚志 
2005年に入り早くも2月半ばとなりました。まだまだ寒さが続くニューヨーク周辺ではありますが、皆さまにはお変わりはありませんでしょうか。陽も長くなってきていますし、立ち止まって木々のつぼみや芽に目をやれば、あの豪華絢爛な春の一斉開花に備えて膨らみ始めているのがわかります。よみがえりの季節、イースターはもう目の前です。


ジョイ・ジョイ・イースター
3
27@ 9時半~for Kids
  楽しいゲームやイースターのお話、エッグハント!
イースター特別礼拝
3
27@ 11am
会場 
グリニッチ福音教会

Dust to Dust
塵から塵へ/灰の水曜日  立石尚志

宗教的な国
 先日、銀行に立ち寄った際、行員の方の額に十字架の形に墨が塗られていた。ちょうど2月9日、今年の「灰の水曜日/Ash Wednesday」に当たる日であった。キリストの復活日に至るまでの40日の断食期間をレント(四旬節)と呼ぶが、カトリック教徒、またルーテル派等、プロテスタントの人々の一部がレントの習慣を守る。灰の水曜日はその初日であり、最近のキリスト教の復権も手伝ってか、今年はマンハッタンでも額に灰の十字を塗っている人も多かったとか。額に灰の十字を描く習慣は、中世カトリック教会でキリストの受難を覚えてこの日に灰をかぶったことが転じて発達したとのことである。前年のイースターに用いた棕櫚(しゅろ)の葉を灰にして小量の油と混ぜ、司祭が「(覚えておきなさい)、あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」(創世記3章19節( )内は付け足し )と語りながら、親指でその灰を額に塗るである。この言葉は罪を犯したアダムに対して神が語られた言葉である。額の十字架は、部分的にしかキリスト教文化を取り入れていない日本ではなかなか見られない、アメリカならではの歳時記の一頁である。

Dust to Dust
 それにしてもDust to Dust、塵 (ちり) から塵へ、という言葉はいかにも否定的だ。私たちはそもそも塵から成り立っており、死んで塵に戻る。確かに物理化学的にもこの表現は適切である。私たちは大部分水であり、あとは炭素、窒素、水素、カルシウム、その他の元素からできており、同じ元素でできた食べ物を食べ、骨と灰を残して透明な気体となって火葬場の煙突より霧散していく(土葬なら分解して土に変わる)。しかし「塵から塵」にはさらなる神からの「のろい」が込められている。聖書の中の「伝道者の書」という所に
「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」3章11節
とある。私たちのの精神は時間を超越し、永遠へのあこがれを持つようにできているということだ。だからこそ私たちは自らの「死」を前にしたとき、否が応でも己の有限性と直面させられ、永遠に比してあまりに時期尚早に訪れる死という矛盾に苦しむのである。同じ伝道者の書に
「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰
 る。空の空、伝道者は言う。すべては空。」12章7,8節

とある。これは驚くなかれ、聖書の言葉である。すべては全く空虚であり、空しい!「私の人生はいったい何であったのか?」「果たしてこれでよかったのか?」「諦めるしかないのか」「所詮私の人生は・・・」等、人生最後まで悩みがついて回る。死は人生という「足し算」を全部くくって最後に「ゼロ」をかけるようなものではないだろうか。職業柄既に何度か葬儀を行って来たがその度に思わされたのは、人は本でも書かない限り、死後50年もすればその人が何をし、何を考え、どのような人であったか、直接の親族以外、ほとんど誰も覚えていることはないだろう、ということである。その人の人生がどれほどの喜怒哀楽とドラマとで満ちていたとしてもである。まさに「空の空」ではないか。

諦めではなく希望
 しかしここで、Dust to Dust、目的なき人生、死すべき人の有限性を受け容れることこそ悟りなのだ、と言ってしまったら、受難も復活も、パッションもイースターも必要なくなってしまう。聖書は「健全な諦め」を教えているのではなく、全く逆のことを教えているのだ。キリストの十字架と復活こそ、死の問題の解決であり、永遠のいのちへの橋であり塵から塵へという呪いをうち砕く答えなのだ。そしてクリスチャンとは聖書のこの訴えが真実であり正しい、と証しする存在なのだ。死という矛盾を越えた希望がここにある。

地上天国/アメリカの教会の問題
 灰の水曜日、2月9日の翌朝7:30、隣町で行われている地域の早朝牧師会に出席した。その日のテーマは「教会はキリストの再臨のための準備ができているだろうか」であった。聖書には、私たちの今の体は必ず死を迎えるし、罪にまみれた今の世界も過ぎ去る、だから過ぎ去る事柄に夢中になりすぎるな、むしろ神の使命に生きろ、とはっきり教えている。しかし、アメリカの多くのクリスチャンは現世利益、健康、成功に心を向け過ぎてはいないだろうか、この地上を天国と勘違いしていないだろうか、というのが、発題した牧師の訴えであった。その牧師は副業として不動産会社も経営しており、かなりの成功を収めていらっしゃるが、最近、自分の時間の使い方に疑問を感じ始めているとのことであった。
★灰の水曜日から始まりイースターに至るまでのレントの期間が設けられている目的はまさにここにある。人は忘れやすい。神を見出す以前、自分がどれほどの虚しさの中にいたか、ということをいつの間にか忘れ、もとの空しい生き方を追求していたりする。だからこそ、年一回、あえて灰で十字を額に描くことを通して、この命もこの世も過ぎ去る運命にあることを肝に銘じなおす必要があるのかもしれない。断食して自らの罪を悔い改め、神がこの世で自分に与えておられる使命を問い直し、限りある命を神の御心に従って生きることを確認し直すことをこのレントの期間、私は実行したい。■

わたしが復活を信じる理由    立石尚志
●「死」と「復活」は私にとり、牧師の働きをするための原点となっています。私が信仰を持ち、信仰を養われた松見ヶ丘キリスト教会は「天国会員」が実に多い教会です。地上での歩みを終え、向こう岸に渡られた方々が多くいらっしゃるのです。その中には、私を幼い日よりかわいがってくださり、大人へと成長して行く過程を励ましてくださった池田さんのおじさんや山田さんや宮下さんのおばさんたちもおられます。共に青春時代を過ごした青年の仲間たちもいます。父の駐在に伴って日本とアメリカを行き来し、苦楽を共にした一つ年下の弟雅史もいます。彼らはキリストを信じ、実にすがすがしく「また会おうね」とでも言うように、あちら側に渡って行きました。同じキリストを信じて来た私の動かしがたい確信は、彼らが今、神の御前で生きており、彼らと再会する日が必ず来る、ということなのです。

●私は死者のよみがえりを信じています。信じがたいようなことをよくも大まじめに信じている、という風に外からは見えるかもしれない、と思ったりもしますが、これは〜〜を信じる?信じない?というような知的・感情的な選びの問題ではなく、実質を伴った揺るがない確信として私の心に据えられているものなのです。この確信こそ、今なお私を福音宣教へと駆り立てるのです。

●当然、まったく信じていないこともたくさんあります。嘘をついたことがあるので地獄で閻魔大王に舌を抜かれるとか、煉獄(れんごく)にいったん落ちて償いをしてから天国に行くとか、悪さをしてきたので畜生道に落ちるとは信じていません。自分は今は小さな神だが、だんだん上級の神に昇格していって、そのうち、自分の宇宙を持つようになる、とも思いませんし、死んで百年くらいたったらご先祖様の霊とひとつになって、ご先祖を敬わない子孫にたたったり、お線香をきちんとあげる子孫はえこひいきするとも信じません。ちゃんと供養してもらわなければ成仏できないとも思いません。人間は単なる物質であり「意識」は化学反応の結果でしかないので、死んだら終わりだとも信じません。まして、人間は死後「自分が信じた天」に行くようになるので、人はどんな宗教を信じていてもいい、とも思いません。そして、所詮、死後のことは何もわからないのだ、とも思いません。

●私は聖書が教えているように、死んだ後に、私が地上で行った全てのことを記録され、正しく裁かれる全能なる神の御前に立つことになると信じています。その時、地上でなした様々な罪のため、本来自分は有罪であることを知っていますが、イエスさまを信じる信仰ゆえに罪赦されていることと、永遠のいのちをいただけることを信じています。同じようにキリストを信じた人々ともやがて天で再会することになることも信じています。さらにまた、神がこの世界を刷新なさる時、新しいからだをいただき、よみがえることになることも信じています。

なぜ信じているのか? なぜ確信があるのか? 一重に、自らが神のことばであると主張する「聖書」に対する信頼がますます深まって来ているゆえです。最初は半信半疑の部分もありました。しかし聖書を神のことばとして学び、その約束を信じ、命令に従えば従うほど、聖書が事実、本当に生きておられる神のことばであり、思い込みではなく、この神が自分を愛し導き、教え諭し、守り養ってくださる、ということが「生きた現実」として体験され、自分の歴史に刻まれて来ています。だから今は親の約束を信じる子供のように、未だ見ていないよみがえりの現実も、新しい世界のことも、信じられるようになったのです。ですから私は今年もイースターを心からお祝いします。■
2005年2月、3月の教会の集会予定 (変更の可能性もありますので電話でご確認ください)
【定例集会案内】
 礼 拝  日曜日 午前11時より
 教会学校 日曜日 午前9:45
 教養講座 日曜日 午前9:45
 祈 り 会 水曜日 午前10時より
NH祈り会 水曜(第2,4,5)12時より


聖書とキリスト教・教養講座テーマ
2/20 《ビデオの日》
2/27 覚えておくと得をする聖書の格言(1)
3/06 キリスト教葬儀の目的と意味
3/13 映画パッションから一年、十字架再考
3/20 キリスト教における死者の復活信仰
3/27 《イースター子供会と合同します》
4/03 「漢字」に見られる聖書の思想
4/10 《質疑応答・ディスカッションの日》
4/17 キリスト教は資本主義、共産主義?
4/24 ユダヤ教の「過ぎ越し祭」とキリスト教の関係


【家庭集会・聖書研究会】
Men's Bible Study  教会事務室
  2/19F 3/5F,19F 7:30pm
  連絡先:四宮(203)531-1296
グリニッチ家庭集会
  原則第一金曜 10:00am
  場所はお問い合わせは教会まで
ハリソン聖書研究会
 原則第二、第四金曜 10:00am
  場所:ハリソン長老教会
  連絡先:今村(914)835-2621
ニューヘイブン聖書研究会
 第一、第三木曜 10:00am
 連絡先:久賀谷203-230-5833

シニアシチズン聖書研究会
 毎週火曜1:00pm
  場所:井上宅 連絡先:教会

★新!! ハートフォード家庭集会
 2/22B 11:00am
  原則月第四火曜日
  場所:テイラー麻生子宅
  連絡先:860-627-8901(テイラー)

【行事・スペシャル】
●3/20@11:00 礼拝
 ゲストメッセンジャー中山妙子先生
●3/27@ 9:30 JoyJoyイ-スタ-
●3/27@11:00 イースター礼拝
●4/20C 元やくざ/ミッションバラバ
  
鈴木啓之牧師を迎えて
  場所:ニューヨーク日本語教会
  
お問い合わせは教会まで
★ハーベスト・タイムの放送を毎週金曜朝8時よりWMBCにて見ることが出来ます。グリニッチ以東はカバーされていませんが、NY、NJの方は是非ご覧ください。  ★教会のホームページも少しずつアップデートしています。ご覧ください。

《教会住所》グリニッチ福音キリスト教会 (Japanese Gospel Church of Greenwich)牧師 立石尚志
c/o St. Paul Ev. Lutheran Church, 286 Delavan Ave. Greenwich, CT 06830 website: www.jgclmi.com
《問い合わせ》 教会TEL/FAX(203)531-6450、 牧師宅TEL/FAX(203)531-1609, e-mail: greenwichjgc@cybercap.com